パリス・ジャクソンの母親は?知られざるマイケル・ジャクソンの元妻

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パリス・ジャクソンの父親はマイケル・ジャクソンであることを知っている人は多いですが、では母親は一体誰なのでしょうか。そこでパリスの母デビーことデボラ・ジーン・ロウについて詳しく紹介します。

パリス・ジャクソンの母親のプロフィール

パリス・ジャクソンの母親は看護士のデボラ・ジーン・ロウ(以後デボラ・ロウ)です。デボラ・ロウはワシントン州東部のスポケーン出身で、幼い頃に両親が離婚したのがきっかけで、母親と叔母や祖父母に育てられました。ちなみに彼女には異父姉妹のロレッタ・スカーレット・ロウがいます。

父親不在で育ったデボラ・ロウは幼いときから強い孤独を感じていました。そんな彼女は1982年24歳のときに結婚。結婚生活は6年続きましたが、その後離婚しています。

デボラ・ロウがマイケル・ジャクソンと出会ったのは、皮膚科医のドクター・アーノルド・クレイン医師のところで看護士として働いていたときのことです。その皮膚科でマイケル・ジャクソンは異常性白斑の治療をしていました。彼の肌の色が漂白しているためだなどといった噂が散々流れましたが、実は病気だったのです。

二人が出会ったのはマイケル・ジャクソンとリサ・マリー・プレスリーが離婚した後の1996年。マイケル・ジャクソンは当時結婚が破綻し、父親になる可能性を失ったことでひどく落ち込んでいたといいます。

そこでマイケル・ジャクソンの昔からの大ファンだったデボラ・ロウが彼の子供を生むことを提案したのでした。これについてはリサ・マリー・プレスリーも、デボラ・ロウがマイケル・ジャクソンの子供を作りたがっていると、あるインタビューで話しています。

そして1996年にデボラ・ロウは子供を妊娠。同年11月14にオーストラリアのシドニーで結婚したのでした。前述の通り、デボラ・ロウが結婚するのはこれが二回目。一方のマイケル・ジャクソンが結婚するのもこれが二回目でした。

二人が結婚式を挙げてからわずか3ヵ月後の1997年2月13日に長男のプリンスことマイケル・ジョセフ・ジャクソンJr.が誕生。その翌年の1998年4月3日にパリス・ジャクソンこと、パリス・マイケル・キャサリン・ジャクソンが誕生したのでした。

ところがデボラ・ロウとマイケル・ジャクソンは1999年10月8日離婚。もともと一般人であるデボラ・ロウは、マイケル・ジャクソンと結婚したことにより、メディアやパパラッチに追われることになり、普通の生活を続けることができなくなってしまいました。ちなみにデビー・ロウは現在に至ってもいくつかのTV番組を除いてほとんどメディアに応じないことで知られています。

二人の離婚後、デボラ・ロウは裁判を通じてプリンスとパリスの全親権をマイケル・ジャクソンに譲っています。それと引き換えにデボラ・ロウは、800万ドルとLAの高級住宅地ビバリーヒルズの家を受け取っています。

その後、デボラ・ロウは親権をめぐってマイケル・ジャクソンと何度となく裁判で争うことになります。というのも2004年マイケル・ジャクソンに子供の性的虐待容疑が浮上したからです。デボラ・ロウはまず全親権をマイケル・ジャクソンに委ねるという離婚後の取り決めの無効を訴えたのでした。

虐待容疑のほか、当時マイケル・ジャクソンはイスラム教から派生した新宗教ネーション・オブ・イスラムに傾倒していたことから、自分の子供たちが洗脳されるのではないかといったことを心配していたのです。ちなみにデボラ・ロウはユダヤ教徒で、イスラム教徒とは歴史的にも対立の関係にあります。

2009年6月25日、マイケル・ジャクソンが亡くなると、様々な憶測によるゴシップが流れました。デボラ・ロウはマイケル・ジャクソンの子供の本当の母親ではなく代理の母親だ、彼女はお金のために親権を売った、などといった噂がありましたが、デボラ・ロウは弁護士を通じてこれを真っ向から否定しています。

2014年4月デボラ・ロウは、音楽プロデューサーであり、以前マイケル・ジャクソンが所有する遊園地ネバーランドの撮影カメラマンだったマーク・シャフェルと再婚します。彼女にとってはこれが3度目の結婚になります。

2016年には乳がんを患い、長い闘病生活に入ります。抗がん剤治療のため髪の毛や眉毛を失った彼女でしたが、そんなとき支えとなったのが娘のパリス・ジャクソンだったそうです。